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LOCAL PRESS

HOME >LOCALPRESS > 河野透
222011.08
東京

海ネタではありませんが、8月17日石巻市の中で被害が最もひどかった渡波地区にある渡波小学校で、子供縁日を行うために参加してきました。

子供縁日を企画してくれたのは、お友達の煎餅屋さん
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煎餅屋さんは、すでに被災地での炊き出しをしていて、第二弾として、8月15日~30日で、東北の被災地を回り、炊き出しをする計画を立て、被災地をまわっています。

照れ屋の煎餅屋さんは、「すごいですよ」という僕の言葉に「趣味ですから」と、笑って誤魔化していますが、とてもハートのある人で、とても尊敬しています。

そんな煎餅屋さんから、石巻に通っていた僕のところに電話があり、「石巻で、子供縁日をしたいので、いい場所はないか?」と連絡があり、何度か行っていた被災がひどい石巻市の渡波小学校を紹介したのでした。

多くのボランティア団体が、炊き出しを試みていますが、衛生管理の悪さ、暑さから、食中毒を出すケースも多く、炊き出しをする事が少なくなっています。役所なども、申請しても弱腰で、炊き出しをしたいと言ってもなかなか許可が出ないので、ちょっと裏技を教えたりとしました。

そんな状況の中、煎餅屋さんは、被災地の子供達の笑顔の為にと、尽力されていました。 多くの方の努力で尽力で、被災地の子供たちに笑顔と企画された子供縁日が実現しました。


出店の内容は

・進世堂 かき氷 1000

・井筒 まい泉 ヒレカツサンド 1000

・風来坊 手羽先唐揚げ 600

・岩崎本舗 角煮まんじゅう 400

・こ寿々 わらび餅 

・ほりえ 稲庭うどん 100

・頑固蛸 蛸焼き 150

・エッグタルト エッグタルト    

・もちべえ 餅 1000

・タータンコーヒー 水だしコーヒー

・いずみ屋 ちりめん 15

・松野屋 なめ茸茶着 50

出店さけている会社は、煎餅屋さんが、TBSの朝の番組「はなまるマーケット」の人気コーナー、今日のおめざで紹介された人気店ばかりです。


準備は、前日に行い、17日の昼頃から、仕込みが始まりました。

ずっと以前から、ボランティアに参加したいとおっしゃっていたメンバーも今回は同行してもらい、搗きたてのお餅で、ずんだ餅、きな粉餅作りに、楽しそうに参加していました。急遽参加が決まったマリちゃんも。。。

子供縁日は、15時スタートでしたが、待ちきれない子供たちは、14時過ぎには、少しずつ集まってきました。

15時には多くの人が集まってきました。
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出店の行列は、長い時間続き、1000人ぐらいの方が、子供縁日に来てくれました。

18時過ぎには、縁日も終わり、撤収後、企画者の煎餅屋さんの締めのあいさつで、大団円となりました。


参加された皆さま、お疲れさまでした。。。。

その後、石巻で被災した方で、ボランティアを通じて知り合った人が「大好きだった海が怖くなってしまったけど、もう一度海が好きになりたい」言ってた生徒さんを連れて、東京に戻りました。。。。ダイビングライセンス取得編の話は、また後日

PS:被災地にボランティアに行くに当たって、被災の現場を見てもらい、見たことを多くの人に伝えてもらいたくて、子供縁日の午前中、イベントに参加してくれたみなさんに、被災した漁師さんの家に行き、直接話を聞かせてもらったり、被災のひどい場所を見てもらいました。少しずつ忘れられつつある被災地の事を忘れないでもらいたいので、このような企画を、またしたいなと思っています。

042011.07
東京

また、石巻市牡鹿町表浜地区小渕浜に行ってきました。今回の目的は漁業支援物資の第二段を届けてきました。そして、水中捜索です。

先週(6/19)に小淵浜で、BBQをしましたが、仕事をしてて来れない人や足がなくて、料理を食べられない人のところに、料理を届けながら避難所の様子を見て回っていました。
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その中で、とても状況の悪い避難所にいる一人の方から、俺は何も要らないから、獅子頭(神)様さえ見つけてもらえればいいんだと言われました。その方は、僕がダイビングインストラクターだと言うことも知っていました。

その方の避難所の人は、40台中心の漁師が多く、早く漁がしたいとやる気もあり、表浜ではかなり働き者の多い避難所です。

表浜漁港が、事実上使えない中で、自分達で県にお願いしてサルベージュ船を手配してもらい、操船して港の中に沈んだ瓦礫の撤去をしたり、瓦礫の運搬の仕事を探して月~土曜まで働いて、家族を支えている人達です。
写真は、津波でダメになってしまった養殖牡蠣を海から引き上げたものです。

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ボランティアさんの行為は嬉しいけど、いつまでも甘えていては仕事も出来なくなってしまうし、復興などありえないと、率先して仕事を見つけて働いています。
その人は、「何かほしいものありますか?」と聞くと、「なんもいらなぇ」言われてしまうのです。

そんな彼が、先日行った時に「実は、獅子頭(神)様を見つけてもらいたいんだ。見つけてもらえれば何もいらない」と言うのです。

獅子頭様、表浜地区に伝わる神様で、旧暦の正月にそれをかぶって村を回るのです。イメージとしては獅子舞のようなものですね。村としては、とても歴史のあるもので、旧暦の正月に使う以外は、団長となった人が二年間家で保管して、次の団長に渡すまで、大切に守らなければいけないものなのです。また、団長に選ばれる人は、限られていて選ばれることは名誉な事なのでした。

そんな大切な獅子頭様は、団長の家に、箱に入って大切にされていました。そんな時に津波が来て、家と共に、獅子頭も海の中に消えてしまいました。

津波で持っていかれたのだから、しょうがないという周りの人もたくさんしますが、獅子頭を守れなかった団長は、割り切ることが出来ません。

村の伝統。。。歴史。。。プライドといろんな気持ちがあったんだと思います。

そんな彼から、言われたら海に潜ることを仕事としている僕として「探してあげたい」と思いました。前にも書きましたが、東北の人は、自分から何がほしいとは言いません(言う人もいますが)
だからこそ、言ってくれた時はなるべく叶えてあげたいと思うのです。
と言っても、水中の中には、瓦礫や危険もいっぱいあります。

潜るのは、プロで、そういう経験がある人と思い何人かに当たったのですが、断わられ。。。職業潜水をしている友人にお供をお願いしました。

しかし工程もきつく、6/25の夜出発、午後から潮の流れ、海況を考えると探せるのは6/26の午前中のみでした。朝8時港に着くと準備をはじめ、9時から捜索を開始。

事前に獅子頭のありそうな場所を調査してあったので、その場所を限定して、3箇所4回の水中捜索を試みました。

何が出てくるかわからない海に入るのは、不安な気持ちはありますが、「潜って探して欲しい」という人がいる以上、プロダイバーとして潜らないわけにはいきません。

最初のポイントは、小淵浜港から船で15分ぐらいの場所で、岬と兎島という小さな島の水路となっているため、見るからに流れが速い場所でした。
打ち合わせをして、僕がまっすぐ進み、水中スクーターを持った友人が、僕の周りをジグザグ移動して、捜索を開始しました。小淵浜の水温は12度、上からの透明度は前日の大雨で、1mもありませんでした。
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水面はほぼ何も見えない状態の中、ゆっくりと潜降して行きました。

すると水深3mを越えたあたりにサーモクライン(水温が極点に違うため混ざり合わない水の層)があり、そこを抜けると、透明度5mぐらいになりました。先日の大雨で流れ出した泥水は、まだ混ざり合っていないようで、濁りは水面近くだけで、透明度が確保できたことは、捜索には有利になります。

水深6mぐらいの岩場に着底し、まずは手を合わせ「神様、迎えに来ました。どうぞあらわせてください」と心の中で祈りました。

友人とアイコンタクトを取り、捜索を開始。

水底には、無数の牡蠣が絨毯のように敷き詰められていました。
このあたりは一面牡蠣畑だった養殖場だったのでしたですが津波で、ほとんどが落ちてしまい波や流れの影響で、この当たりに集約してしまったようてす。

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水中は岩肌のに海藻が生えていて、うねりの影響で大きく揺れていました。海草の中を掻き分けながら、獅子頭様を探しを始めました。
探しているとチャガラ、メバルなどが多く見ることが出来、魚は生きていることに、ちょっと安心しました。この場所は瓦礫はほとんどなく、被災地の海という感じではありませんでした。

島の周りは、6mぐらいの棚になっていて、その先に根があり、それを超えると水深16mぐらいまで落ち込んでいるドロップオフなっていました。僕は6mの棚を中心捜索し、友人は水中スクーターを使って棚の辺りまで、広範囲に捜索を続けました。水温12度最低3ダイブはする予定だったので、一回の捜索は40分までと決めてましたが、が少しオーバーして50分をゆうに超えていました。
後半は流れもあり捜索は難航しました。
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1本目の捜索では、獅子頭は見つかりませんでした。

2本目のポイントに移動しました。2本目は、兎島と半島の間から少し外海に出たところで、位置網を仕掛ける杭が打ってある場所でした。

漁師の話では、水底は、14mぐらいの砂地の予定。。最初は西に移動して、しばらく行ったら、北に向かい半島にぶつかるように潜水計画を立て、休憩もほとんどせず、海の中へと入っていきました。
水深12mぐらいのところに着底、透明度は3mぐらいの中、再び捜索を開始。

水底は、ほとんど岩盤で、船の上で漁師さんから聞いていた泥地で、いくつもの根があると聞いていたのですが、根らしいものは、倒れていて、泥地の下の岩盤がむき出しになっていて、手で扇ぐと岩肌が現れるくらい泥はほとんどありませんでした。津波の影響で、泥がほとんど流されて岩肌をさらしていたようです。このあたりは、穴子がたくさん取れる場所で有名だったのですが、穴子が好む泥地はなくなっていました。自然猛威を目の当たりにして、背筋が凍る想いでした。もちろん魚は何もいません。更に驚くことは、水深14mと聞いていたこの場所は、傾斜があり深場に向かうと20mをゆうに超えていました。更に水底は落ち込んでいて残りのエアを考えると深場に行くのは危険と判断し、友人に合図をして、北に進み半島がある浅場に移動することにしました。

3本目は、船が出た裏側の僕も再建のお手伝いをしている表浜漁協がある港の中に入りました。
ここは、先週重機、ガット(クリーンが付いた船、イメージとしては大きなUFOキャッチャーのようなものが水中の瓦礫を摘んで引き上げるもの)船、クレーンで水中の瓦礫を撤去作業が終了していたので、真ん中ではなく、防波堤、半島沿いを探すことにしました。

港周辺は、水深2~3m、透明度は2~3mという感じです。防波堤の裏から捜索を開始、潜るといきなり潰れた車が目に飛び込んできて、バッテリーやエンジンがむき出しになっていました。

これまでの場所とは違い、トタン板、建材、屋根、炊飯器、冷蔵庫、ふとん、漁具など、水中には生活の後がたくさん広がっていました。

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油断すると頭が出てしまいそうな水域を、水底に沈んだものをひっくり返しながら、獅子頭探しを始めました。水底に広がるいろいろなものを持ち上げると、真っ黒い泥が広がり視界は0.。。

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ホンダワラの林の中を、人の形にも見え、不気味ではありましたが、掻き分けながら、捜索を続けていきました。

獅子頭は、顔の部分の後ろに、白い毛があり、人が3人ほど入れるように、緑色の布がついているので、水底に沈んでいる布らしきものを、目に付く限り拾い上げていきましたが、獅子頭らしきものは見つかりません。ここでの捜索時間も1時間を過ぎていたので、一度船にあがることにしました。

あがって来た僕らに、獅子頭を探してほしいと言った彼が、「もうやめましょう。気が済みました」

「一生懸命さがしてもらったみなさんの尽力と探している姿を見て、自分の気持ちの整理が出来ました。それに、ここは、ガット船でも探した場所ですからないと思います」というのです。

でも、僕も友人も、本気で獅子頭を見つける気で来ていたので、「もう少し探させてください」とお願いをして、3本目に潜った場所の奥に、牡蠣が吊るしてあった浮きが打ち寄せられている場所を探すことにしました。

残りのエアも100を切っていたので、あと30分だけと無理を言って、4ダイブ目に向かいました。
睡眠不足、休憩もほとんどせずに、3ダイブ3時間近く海の中で探し続けているので、これで最後にしょうと、最後の捜索に海へと入っていきました。

透明度は5mぐらいありましたが、水温12度とかなり冷たい海に長い間入っているのは、きつくなっていました。
岩場には、タイヤやトタン屋根などが沈んでいました。そんな中に海草がたくさん生えていて、海は生きてるんだなと感じ、少し明るい気持ちになりました。

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海草の根元を見ると、たくさんのムラサキウニがいました。ウニ生きてるだと嬉しくなりました。

水面近くには、すすぎが泳ぎ、たくさんの魚がいました。きっとこの海なら、表浜の漁港は復活できると実感しました。

4本の潜水、潜水時間4時間、捜索箇所4箇所の結果、獅子頭は見つけることが出来ませんでした。

申し訳ない気持ちで、船にあがった僕らに、「ありがとうございました」と彼は言ってくれました。

フードをはずしながら、こっそりと涙が出ました。。。

船に戻ると海はかなり時化て来て、雨も激しくなる中、港へと戻りました。

機材を船から降ろし、機材を積み、漁師のみんなが集まっているところに戻ると、彼は「見つかればいいと思ってたけど、私達の為に努力して探しくれた事で気持ちの整理がつきました」と、そう言った彼の顔は、笑顔でした。「獅子頭さえ見つけてくれれば、なんもいらね」と先週、凄い形相で迫ってきた彼とはまったく違う表情になっていました。

結果は出せませんでしたが、海に潜ったことで、気持ちが晴れて悲しみを乗り越えて、前に進む気持ちになった気がします。

僕は、石巻市牡鹿町表浜地区に通うようになって、今回で8回目、2ヶ月以上が過ぎました。

最初は、物資を携えて、見ず知らずの被災者に、みなさんから携わった食料、生活用品などを届けてきました。

そして今は、元気と希望と思いやりの気持ちを届けています。それが今、俺が出来る事だと信じて。。。。これからも被災地に向かいたいと思います。

追伸;獅子頭は、また近いうちに潜って探そうと思っています。

202011.05
東京

僕が宮城県石巻市に通うに通うきっかけを作ってくれたのは、ご近所さんでもあり、お友達でもある自然写真家高砂淳二さんのおかげです。

そんな高砂淳二さんの新しい写真集「children of the Rainbow」が、5月25日小学館からは発売されます。

今回は、高砂さんが愛するハワイの虹の写真と子供たちの写真集です。
また、6月後半に、六本木ミットタウンにて、高砂淳二さんの写真展が開かれます。
(詳細については、後日発表します)

その二つを記念して、高砂淳二さん出版記念パーティを、6月8日(水)19時~、新橋BOXにて開催したいと思います。

当日は、スライド&トークショー、新しい写真集「children of the Rainbow」の販売とサイン会、ポストカードの販売を予定しています。

楽しいイベントにしたいと思いますので、たくさんの方のお越しをお待ちしています。


詳細は
日時 6月8日(水)
時間 19時~22時
場所 新橋BOX TEL.03-3571-6020(JR新橋駅汐留口から徒歩1分)
料金 6000円(料理おまかせ 飲み放題)
定員 60名

新しい写真集「children of the Rainbow」2625円

お申し込みは、こちらに書き込むか、メール(kaisentaitooru@yahoo.co.jp)にてお願いします。
よろしくお願いします。

写真は、写真展で使ったパネルを高砂淳二さんの実家に保管してあったのですが、津波で被災して、それを東京に持ってきて水洗いしているところです(3月末)

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172011.05
東京

宮城県石巻市に通うようになって、3回目、総滞在日数も10日間を越えました。
そんな中で、石巻市3回目にして、何もかも無くなってしまった被災者の方が暮らす、避難所に入りました。

場所は、牡鹿半島鮎川町の方が避難所ぐらしをしている牡鹿町保健福祉センター、清優館です。ここは、高台にあり、地震の被害をほとんど受けなかったところです。

ここに避難されている方は、5月2日現在、138人、うち17人の子供(乳幼児1人)がいらっしゃいました。

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入口を入ると避難所生活の中で元気に振舞うお母さん達がいました。
館内に流すミニコンポに、ぬいぐるみを乗せて、可愛くしたり、海辺で折れた桜の大木に桜が咲いていたと少し折ってきて飾ってありました。避難所生活について質問するとニコニコしながら答えてくれた。こんなところも、被災者とお話しすると元気をもらえる瞬間です。

一人のお母さんに、避難所の中を案内してもらいました。
大きな広間には、10家族以上の家族がいらして、ダンボールで仕切りが出来ていました。

奥には、子供達専用の遊びがあり、たくさんの子供達が遊んでいます。

廊下には、2家族がいましたが、ペットがいるため、みんなと離れたところで、過しているようでした。

男達は、日中は瓦礫の片付けや浜辺に行き、使える漁具を見つけて綺麗にして、いつ再開するかわからない漁の準備をしているそうです。

一通り見せていただき、もう一つの目的である館内に、こいのぼりを貼り付けていくことにしました。避難所生活が続き、日付の感覚が無くなりつつあるみなさん、特に子供達に季節を感じてもらうことが目的です。
一緒に車に乗せてきた若いボランティアの2人が、静岡県から送られてきた大量のこいのぼりを、館内の壁に貼り付けて行きました。その間僕は、職員の方の話を聞きに、事務所の方に行きました。
そんな中で、仮設住宅建設の遅れ、避難所で一緒に生活をしていることから、全員の仮設住宅が出来るまでは、避難所を離れたがらない事を聞きました。

いろいろお話を聞き、こいのぼりを貼り付けているボランティアの2人のところに戻るとこいのぼりを貼り付けている2人の周りにたくさんの子供が来ていました。
大学生の男の子の周りには、女の子がいっぱいいました。
「もてるな」と言って、近づいてみると。。。

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もてると言うよりか、むしろからかわれている感じでした。
一人の女の子は、明らかに年上のお兄ちゃんという感じで意識しているのですが、興味を持ってもらうために、わざと意地悪な事を言ってる感じで、彼のお手伝いをしていました。
何故、そう思ったかは、後ほど書きますね。

もう一人のボランティアは、石巻市牡鹿半島の出身で、看護学生で震災の時は、石巻市内の看護学校にいたそうです。震災後学校が休みになってしまったので、地元に戻りボランティアに参加したそうです。
その子は、小さな女の子に捕まり、絵本を読み聞かせをしていました。

そんな姿を見て、最初は僕らに無関心だった子供達が、遊び相手がほしいだなということを悟りました。
学校の友達共会えず、避難所での生活はつまらないと思います。

そんな中で、若い男女のボランティアは、いい遊び相手だったのでしょう。

でも、僕らには限られた時間しかなく、そんな子供達とゆっくり遊んであげることは出来ませんでした。出来る限り避難所にいましたが、夕方近くになると、海沿いの道路は、震災後の地盤沈下の為、高潮の影響で通行が出来なくなってしまうのです。

子供達と過す時間はあっという間で、別れの時が来ました。

車に残ったこいのぼりを積んでいると、男の子のボランティアに突っかかっていた女の子(中学生か高校1年ぐらい)が、僕のところに寄ってきて、「あの二人付き合ってるの?」と聞いてきたのです。

彼女には「付き合ってないよ」と答えましたが、やっぱりと感が当たった事を確信しました。


DSCF5002.jpgそろそろ帰ろうかというと女の子のボランティアと仲良くなった小さな女の子が、お散歩に聞きたいといいだし、返したくない彼女の気持ちが痛いほどわかったので、「行っておいで」と言い二人は、別れの時間を少し伸ばすことが出来ました。
この子達と会えるのは、いつなんだろうという思いがよぎりました。
被災者の方の為を思い、行動をしていますが、無責任な約束は出来ないので、いつ来れるかわからない時は、「また来ます」とは言わないようにしています。
でも、折角出来た子供達が、2人の若い男女のボランティアを見送る姿を見ていると、思わず「また来るね」と言ってしまいました。
もちろん、また行くつもりです。

でも、純真な子供達の気持ちを思うと、被災者の気持ちにあまり入り込むのは、いけないことだ思いつつも、そう出来ない自分がいます。

そんな子供達の為に、次に行くとは、喜んでもらえるものを届けてきたいと思います。そして、遊び相手をしてくれる人もつけていけたらいいなと思いで、初めての避難所を後にしました。

062011.05
東京

5月4日一日だけ、高砂淳二さんの自宅で、写真展が行われました。

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招待させたゲストは、高砂淳二さんの被災した故郷、宮城県石巻市における支援物資運搬、ご両親の救出、石巻でのBBQ大作戦、被災したパネルの救出などの活動携わった仲間たちです。震災後に多くの方がつながり仲間となりました。

写真展は、高砂さんの実家に保管されていた写真展で使ったたくさんのパネルです。
津波によって、たくさんの紙焼きのパネルは全滅、アクリルパネルで、被害が少なかったものを救い出しパネルを水洗いしたものを、家の各所に飾りました。

高砂さんの奥さんが、自宅で日本語教室をしているのですが、その生徒さんから、写真を見ながら、震災のこと、これからのことを語り合う場にしては、という意見があり、急遽この写真展が開かれることになりました。

14時から始まった高砂淳二写真展には、協力した仲間の方々がたくさん集まり、にぎやかな会となりました。夜には、最小限の照明とろうそくの明かりで、穏やかな時間が流れる中、被災地のことを思い、高砂淳二さんの写真をみながら静かな時間を過ごしました。

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被災地のことばかり、ニュースで流れてますが、復興するまでには、長い年月がかかります。そんな被災地のことをずっと忘れずに応援しなければいけないと改めて気持ちを確認しあった素敵な一日でした。

高砂淳二さん素敵な写真展をひらいていただきありがとうございました。

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PS:被災地の為に、何かしたいと思っていたときに、高砂淳二さんの故郷、石巻も大きな被害を受けたことが、僕が石巻に行くきっかけを作っていただきました。

052011.05
東京

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宮城県石巻市内は、早い速度で復興へと進んでいます。4月末からは、お店を綺麗に掃除をして、営業再開する店も増えてきました。石巻市内では、食事も出来る店も増え、ガソリンも普通に入れられるようになりました。その反面、被害のひどい所は、家も財産も、仕事も車も船も何もかも無くなっていて、避難所生活はいつまで続くのだろうか、私たちは、これからどうしたらいいのかという不安な気持ちを抱かずにはいられない住民の皆さんがいます。家族で避難し、お年寄りやお子さんは、かなり疲れきっていました。

そんな中での、避難所解散というつらい現実も近々にあり、第二の避難所を探さねばならない人もたくさんいます。仕事や学校を再開させるには、被災者がいると出来ないところもあり、復興していくためにも、そういう問題をかかえているのです。

被害が最もひどいと言われている宮城県石巻市の牡鹿半島ですが、今回は最も被害のひどい場所を地元のボランティアさんにお願いして、見に行くことにしました。
僕が最初に、物資が届かないということで、牡鹿半島の西側の小淵浜に入ったのですが、東側や南側の場所の被害はさらに酷い状況でした。

牡鹿半島は、石巻市内の東側に位置し、北から南に20キロぐらい伸びている半島です。
美しい海岸がたくさんあった半島で、大自然の中に、多くの野生の鹿がいます。そんなところから、牡鹿半島と言われるようになったのかな?

今回の津波は、牡鹿半島の東側から押し寄せてきたので、牡鹿半島の東側に位置している女川町の被害はとても酷く、その被害の凄さには目を覆いたくなるほどでした。

ここに町があったとは思えない光景が広がっていました。
倒れたビルや破壊された水産加工場

4階立ての建物の屋上には津波で流された車が引っかかっていました。

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高台にある病院の1階まで津波が来ていたので、町は完全に水没して、津波の高さは20mは超えていたことが想像できます。

今回は、道が困難でいけませんでしたが、寄磯浜は、さらに酷い状況ようです。

寄磯浜から南下したところに、鮫浦、谷川浜(やがわはま)がある鮫浦湾の被害の規模は、さらに酷く家も道路もありません。

家々のあった奥には、高い木々がある森があるのですが、そのあたりまで津波が来ていて、木々の生えている根元をかなりの高さまでえぐれた跡がありました。
その光景から想像すると、ここも津波は10mをゆうに超えています。

今は、青くて綺麗な海を望む高台にある谷川小学校は、鉄筋の建物は残っているものの学校の中は、津波によって破壊されていました。

学校の正面の高いところに、時計があるのですが、時計の2/3まで津波に使った後があり、時計は3時25分に止まっていました。地震発生後30分後です。

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今回、谷川小学校の両親、子供たちがいる避難所にも行きましたが、大好きなAKB48のグッズを届けることが出来ましたが、会うことは出来ませんでした。みんなどんな気持ちでいるのかな?

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そんな気持ちを抑えつつ、さらに牡鹿半島を南下し、鮎川という大きな町に向かいました。
ここには、石巻市牡鹿総合支所ありました。支所は高台にあることから津波の被害は免れたので、役場の人や自衛隊が牡鹿半島を全体に管理する災害対策本部がおかれています。

そこで、石巻市の職員の方と話すことが出来たのですが、話すことも疲れてしまっているようで、疲れた様子から詳しい話を聞くのは申し訳ない気持ちになりました。

そんな時、単独で東京から来たボランティアと出会いました。
彼は、震災後2週間目に石巻に入り、ボランティア活動を続けている人でした。彼の行動力は、後から入ってきた自衛隊の救助活動にも貢献してして、今では自衛隊にもいろいろ意見を言えるようになっていました。その人は、木村さんというのですが、僕がダイビング仲間で、牡鹿半島に物資を届けた事を伝えると、木村さんも、以前、神津島でダイビングインストラクターをしていたとの事で、仲良くなり、その方から牡鹿半島の状況をかなり詳しく聞くことが出来ました。

僕自身は、被害の大きさから、最初にかかわった牡鹿半島の小淵浜の人たち、海を愛する僕として小淵浜の猟師の応援が出来ればと思い、そこを中心に支援活動をしょうと決めています。

続く

042011.05
東京

震災から、二ヶ月が経とうとしていますが、今月3回目となる宮城県石巻市(4/28~5/1)に行ってきました。前回の事を書いていなかったので、まず前回(4/22~24)の石巻のことを書きますね。

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最初に石巻市入ったときに、炊き出しのお手伝いに行った秋山さんのお宅に行った時に感じた事は、水が不足している。炊き出しするには、ミネラルウォーターではなくても水道の水をタンクに入れて持っていけば、いいんだなと思い今回持って行こうと前日現地でボランティアを続けているケロちゃんに連絡すると、秋山さんの家がある石巻市伊原津地区に、今週から水道が出るようになったということで、タンクは最小限にしました。

秋山さんの家を訪れると、前回家の前にあった津波で流されてきた車と瓦礫の山も、自衛隊の重機で取り除かれていて、道が見えていた事に、感動しました。

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4/25から、スーパーも再開し、車が流されてしまった人の為に、無料の送迎バスが出る事になっていました。

なので、この地域で三週間続いた炊き出しも、4/23で終了。最後の炊き出しをお手伝いすることにしました。

最後は、ちょっと豪華に、炊き込みご飯、小松菜のおひたし、切干大根の煮付けです。
炊き出しは、地元のお母さん達と、食材を届けるボランティアと共同で行われているのですが、手際よく進んでいきました。

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11時半過ぎには完成。。。気の早いご近所さんは、12時を待たずに取りに来ます。

人数分を申告し、家族の分を持っていくお母さんやお子さん。。。

そして、100食近くが配られ、みなさんが取り終えたころ、炊き出しを作ったお母さん方とボランティアで、残った炊き出しを食べました。

「作ってくれたお母さん達に。。。食事が出来ることに感謝し」みんなで笑顔でいただきました。食事の時間は、震災があったことを忘れてしまうほど楽しい時間でした。

そんな中で、みんなが少しずつ生活を取り戻しつつ、家族での生活に戻っていました。
もちろん、前のようにはまだまだ行きませんが、市内での復興は急速に進んでいるように思いました。

楽しい食事を終えた後、炊き出しの場所を貸してくれた秋山家に感謝の気持ちとお礼を込めて、床下の泥出しをしました。
お父さんが、床を剥がして、下に溜まったヘドロを袋に積めていきます。
泥出しは、濡れてるとかなり重くなるので、水分が無くなるのを待って行います。

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ゴム手袋をして、手づかみで袋に積めていますが、中腰の姿勢での作業はかなりきついですね。女の子は、窓の枠に水をかけて泥を洗い流します。食器も綺麗に洗います。

倒壊した家を捨てる方以外の家は、多くのボランティアの方々の手によって、家の持ち主と泥出し作業が日々続いていきます。

このゴールデンウィークで、13万人のボランティアが石巻に入ったので、ほぼ泥出し作業は終わることでしょう。

ボランティア活動も、最初は支援物資。。。そして、マンパワー。。。と変化をしつつ、次の段階に推移していることを感じました。

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4/30で、解散となる避難所もかなり増えてきますが、避難所を出た方の中で、高齢者や財産をすべて失ってしまった方のフォローなどは、これからの課題になっています。家がなく、仮設住宅にも入れない方の避難所生活は、まだまだ続きます。そして、避難所での配給は、今なお、おにぎりとパンのみです。

そのあたりは、今後のレポートで書かせていただきます。

今回、石巻市でも、もっとも被災のひどかった、牡鹿半島の女川町、鮎川町も見に行って来ました。ここは、まるで戦争があったかのように、何も無くなっていました。。。

282011.04
東京

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津波は、街を飲み込み、河川をさかのぼり、田畑に大量の海水がしみ込みました。

塩害の影響で、田畑に作物を植えるのは、難しい現状です。塩水に浸かった土壌からは、しばらくは、何も育たないのかなと、悲しい気持ちになりました。

先日再び石巻に行って来ました。2週間ぶりに帰って来た石巻の街を車で走ると、荒れた田畑には、壊れた車が横たわっています。

田畑を見下ろす道を走っていると、満開になった桜の木を見つけました。
ふと、土手を見ると菜の花が咲いていました。

津波が2階の高さまで押し寄せた家の庭先には、小さな華が咲き、華は、休むことなく働いている石巻のみなさんの心を和ませてくれていると思います。

植物の生命力は、すごいですね。

復興への道は、長いけど、自然の生命力のように、石巻方々も、少しずつ生活を立て直し力強く頑張っています。

そんな石巻のみなさんの復興への道を見守りながら、僕達が出来る事を、応援して行きたいと思っています。

272011.04
東京

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被災地に支援物資を届けに行き、現地に行って被災者の方々の復興のお手伝いをしたいと思ったのは、震災後2週間を過ぎた頃からでした。写真家の越智隆治さんをはじめ、多くの方々の協力を得て、4月9日夜から10日に支援物資を届けるために、宮城県石巻市に行ってきました。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。宮城県石巻市に行こうと思ったのは、故郷が被災した自然写真家・高砂淳二さんのお手伝いや実際に行った話しを聞けたことが大きかったです。

実際に被災地を見て、被災者の方々のお手伝いをし、みなさまの気持ちを踏まえて、失礼のないように声を聞き、現地で働くボランティアさんの声を聞いて来たこと感じたことを書かせてもらいたいと思います。情報は日々変わっていますので、現時点での報告(4/10)です。不公平や批判の声もあると思いますが、見えるところから、手を差し伸べて欲しい方々のお手伝いが出来たらいいなと思ってつたない文章ですが読んでいただければ幸いです。書きたいことはたくさんありますが、自分の考えを整理しつつ、少しずつ早めに書かせてもらいたいと思います。

9日の午後、2トン車のロングのレンタカーを借りて、うちにまとめてある支援物資ダンボール箱80個近くを積込、高砂淳二さん(20箱)、越智隆治さんの家(80箱)を回り、至急必要もので、足りないものをスーパーで補充し、水80リットル、灯油60リットル、ガソリン80リットル、軽油60リットルを買って、時間がかかってしまい出発時間は22時を過ぎていました。

浦安から首都高速を経由して、東北道に入り冨谷JCTから三陸道へと入りました。福島を過ぎたあたりから東北道には、段差ありの表示が増え、減速しないと運転するのがかなり困難でした。減速しながら段差を超えるのですが、かなりの衝撃が伝わってきます。もちろんひどい所は応急処置がされていました。宮城県に入ると速度規制も80キロから50キロとなり、道路の凸凹の激しくなりました。更に三陸道の凸凹はひどく、段差のあるところには、注意喚起のカラーコーンがおいてあるますが、あまりの多さに置いてないところも多く、油断してスピードを出すとハンドルを取られるので危険です。

給油に関しては、高速道路上は福島県、宮城県ではほぼ制限なく給油することが出来ました。
ただ、小さなパーキングでは営業時間が7時~22時なので、注意が必要です。僕らは、東北道最後の大きなパーキング(吾妻?)給油をして、三陸道(石巻河南出口)を経て現地ボランティアの滞在先となっている石巻専修大学に向かいました。三陸道石巻河南出口を出で一般道を15分ほど走ると石巻専修大学が見えてきました。

石巻専修大学キャンパスに着いたのは、早朝5時だったので、キャンパス内に車を停めて仮眠することにしました。

キャンパス内のグランドには、テントが300~400個あり、ボランティアの人達が滞在しています。
仮設トイレありましたが、水不足のため、手洗いの水はほとんどなくアルコール消毒のみでした。

現地ボランティアをしている方は、高砂淳二さんや越智隆治さんが理事を勤めるOWSの理事の一人で、なみちゃんこと、浪崎直子さんが事務局の前任者の方でした。名前は、吉田雅子さんといい、あだ名は、ケロさんという事で、僕らもケロさんと呼ばせてもらいました。

さあ、長い一日の始まりです。朝7時ごろ、ケロさんから電話があり初対面のご挨拶と僕の気持ちに賛同してくれ一緒に同行してくれた親友・高橋勇夫さん(ソウルマン)を紹介しました。

石巻専修大学には、いろんなところから集まってきた40ぐらいのボランティア団体がいて、その団体にボランティア志願をして集まってきた人達が1000人ほどいるそうです。
夜20時から、キャンパス内のホールで、ボランティア団体の各代表が集まって、その日の報告と翌日のボランティア活動の予定を話し合っているそうです。7時を過ぎるとかなりの人が起きて来て、グランド内に出ていました。

今回僕らは、小豆島に事務局があるボランティア団体「め組JAPAN」さんの仲間に参加させていただき、8時からの朝のミーティングに、参加しました。

リーダーからの、今日帰るボランティアさんに挙手してもらい、「お疲れ様です。また会いましょう」そして今日から参加したボランティアさんに同じく挙手してもらい「いらっしゃい、今日から笑顔でがんばってください」と。。拍手で迎えていただきました。。。そう笑顔が大切ですね。続いて昨日決まった本日の活動内容が発表されます。め組JAPANの今日の活動は「街中スマイルプロジェクト」石巻市役所周辺の家庭の泥出しと掃除です。男女一組になって、各家庭の泥出しと食器や家具の清掃します。石巻市内では、海岸や河口の周辺近くは津波の被害が大きく全壊した家も多いのですが、半壊してた家に戻って、1階部分には住めませんが、水には浸からなかった2階で生活を再開してる地域もありました。

当初泥出しのボランティアに参加する予定でしたが、出発前日に石巻市内から車で1時間ぐらいの場所にある牡鹿半島地区の小淵浜地区に支援物資が届いてないという情報があったので、皆さんから預かった支援物資を小淵浜に届けることにしました。ただ物資を届ける場合、被災者の状況や気持ちを考えて届けないといけないので、その当たりについては後ほど書きます。

支援物資を載せたトラックは、牡鹿半島に届けるかもしれないので、降ろさずケロさんを乗せて、最初の目的地石巻市伊原津地区に向かいました。

津波の被害が多い街中を抜けましたが、道路の脇には、壊れた車やがけ木が山のように積まれていました。建物は、形はあるものの中は、車内から見てても使えないほど壊れていることがわかりました。信号機は壊れて使えないので、交差点には警官が交通整理をしています。そのためかなり渋滞しています。

北上川を渡ると川岸の家はほとんど壊れたままで、北上川にはまだ沈没した船がいくつかあり、この川を津波が上がってきたのかと思うと、言葉もありませんでした。渋滞を抜け、大学から30分ほど走ると石巻市伊原津地区に着きました。この地区では、避難所生活を切り上げて、半壊した自宅を片付けながら、自分達の生活を立て直そうと働いている方がたくさんいて、その地区の中心的な秋山家では、2日1回の炊き出しが始まり、そのお手伝いをすることにしました。
こういう場所も、ボランティアをしているケロちゃん達が、いろんな地域を回り、地域にいる人の気持ちを大切にしつつ、必要なものを届けたりボランティア活動をすることを聞いて回っています。
そこで聞いた情報を、ボランティア団体のリーダーに報告し、行政にあげています。

石巻市には、支援物資不足しているものも多いですが、かなりのものが集まっています。ただそれを届ける人は、ボランティアの人達で、配る人手がまったく足りていません。更に、物資を運ぶ為の車のガソリンも不足してて、ボランティアの人達の活動を阻んでいます。

また、個人から来る物資は、仕分けされていないものも多く、被災者が仕分けのお手伝いに参加したり、日中ボランティアで駆け回ってきた方々が、支援所に帰ってきてから、一生懸命仕分けをしていました。
なので、個人レベルでの支援物資を受け付けてないところも多いようです。
ただ、必要としているものも、まだまだありますので、これもあらためて書きます。

話は、戻りますが石巻市伊原津地区で、炊き出しをしている秋山さんのお宅についた我々は、その地域をまず見させてもらいました。この地域は石巻漁港から500mぐらいのところにあり、地震発生から10分後に津波の第一波が来たそうです。家のほとんどは、1階部分が水没したそうです。路地には流されてきた車が積み重なったままの状態になっていました。路の脇には家から出された家具や畳など使えないものが高く積み上げられていました。そして、そんな被災地で逞しく元気に生活している家族の話をします。。。続く


宮城県石巻市レポート その②

前回のレポートに書き忘れましたが、石巻港の沿岸に魚の加工工場が多く、その冷蔵庫にはイカやカツオなどたくさんの海産物が冷凍されて保存されていました。それが津波の影響で、街のいたるところに散乱しています。津波の影響で家の中に入り込んだりして、腐り異臭を発しています。また、ヘドロの匂いもあり、町全体がかなりひどい匂いです。特に家に入り込んだ魚介類は、吐きそうなほどの匂いを発していました。ゴミやヘドロは、地元の住民とボランティアの人たちとで運び出され、道路に出すと、行政や自衛隊の車が一時処分場に運んでいます。でも、その運搬も多すぎて間に合わず、道路の脇は高く積み重なったゴミと化してしまった生活用品などでした。

僕らが最初にうかがった石巻市伊原津地区は、すでに泥出しは終わっていて、1階部分は、畳が片付けられて、床の上にブルーシートがひかれていました。

この地区の家は、半壊してる家が多く、避難所生活をやめて半壊した家の二階で生活を始めている人、日中だけ戻ってきて家を片付けている方もいました。その方々の中には夜は避難所で泊まってる人など様々です。そんな中でも、自分達で今出来る範囲で生活を立て直そうとしている方々も、出てきているようです。

近所を見せてもらっていると、年配の男性たちが集まって、穴を掘っている人と出会いました。
この辺りは、水源が浅く2mほど掘ると井戸水が出るそうです。近くの家で井戸を掘ったところ、水が出たようで、新たな井戸掘りをしていました。そんな男達を見て、心優しいソウルマンは、スコップを取り井戸掘りに加わって、一心不乱に穴を掘り続けていました。この地区は下水は無事でしたが、水道が出ません。水は不定期に来る給水車とボランティアの方が運んできてくれる水でまかなっています。なので、せめて井戸水が出るとトイレや洗濯には使えるためにと、みんなで努力しているのです。

伊原津地区のリーダー的な存在となりつつある秋山家にうかがったのですが、悲惨な現場を見て、悲しい顔をしていた僕を気遣ってか、秋山さんのお母さんが、腕を大きく振り上げて「みんなでがんばるぞ。。。おー」って言ったのです。
僕は、その時、はっとしました。「がんばろう日本」といいつつ、自分はしょぼくれた顔をしていたのでした。被災者の方に励まされてどうするんだよ。お前って思ったら、笑顔と元気が出てきました。

この先どうなるか、どうするかを決める事は、まだ出来ないけど、せめて自分達で食事を作ったり、生活をしょうと頑張る東北の人の強さを感じました。亡くなってしまった方もかなりいると思いますが、生きている人は、みんな元気に前を向いているんだなと。。。。

秋山さんのお宅では、その日炊き出しをするという事だったので、ケロちゃんが避難所から持ってきた食材を加えて、炊き出しの準備が始まりました。

今日のメニューは、カレーうどんとバナナです。

大きなガス炊飯器に、水を注ぎお湯を沸かします。もう一つの大きなガスコンロには、大きな寸胴釜を乗せ、みんなで切ったカレーの食材を入れていき、水を入れて煮込んでいきます。

バナナは、1本を三等分して、地区のみんなにわたるように、切ります。基本的に地区、避難所では争いが起きないために、みんな平等がルールなのです

お湯が沸くと、乾麺のうどんを折って入れていきます。水は貴重で煮汁は食器洗いに使うため取っておきます。そんな中で、みんな笑顔で食事を作り、元気に生活をしようとしていました。

炊き出しが出来たので、僕はメガホンを片手に近所を周り、「秋山さんのお宅で炊き出しが出来ました。よかったらどうぞ」と大きな声で呼びかけます。

すると家の中から々、すこしづついろんな人が出てきて、

「ありがとうございます」

「器がないんですが、大丈夫ですか?」

「メニューはなんですか?」

「5人いるんですが、大丈夫ですか?」

「あとで、行きます」

などいろんな人から、声をかけてもらいました。

そんな中で、3歳ぐらいの女の子を連れているお母さんと出会いました。

女の子に「カレーうどんあるけど食べる?」と聞くと笑顔でにっこりうなずいてくれ、炊き出し場所となっている秋山さんの家に来てくれました。

許可を取って、後ろからの撮影をされていただきました。

その後、ぞくぞくと人が来て、各人数分の炊き出しを嬉しそうに持っていってくれました。

高校生3人炊き出しをもらって嬉しそうな笑顔です。

秋山さんお宅では、今後2日に1回炊き出しをする計画をしてて、ボランティアの人達も支援していくそうです。

僕は、この家に4/2にWEB-LUEとガイド会のチャリティイベントで、みんながそれぞれの思いを書いてくれた旗を飾ってもらえないかなと思い、お母さんに事情を説明して渡すことにしました。

旗を見たお母さんと、娘さんは「ありがとう。。。涙が出ます」と喜んでくれました。お父さんは、その旗を家の壁に釘で打ちつけて貼ってくれたのです。

因みに、炊き出し中の看板は、秋山家の娘さんのくみちゃんの手作りです。

伊原津地区のみなさんは、こうやって少しでも前を向いて、自分達でも出来ることを始めていました。
先の事は、まだどうなるかは分かりませんが、いろんな選択肢を考えつつ前に向かっている姿に、心を打たれました。自然の猛威を目の当りにした僕らは、その破壊力に最初自分達の無力さを感じたのですが、その中でも前を向いている人達を、小さな力でも支援協力していくことが大切なのではないかと、思いました。

100食作った炊き出しは、なくなってしまい作ったみんなは、うどんのゆで汁を沸かして、カップ麺を食べました。

そうそうガスは、LPガスなんですが、津波で流れ街の中に散乱していたものを、拾って使ってるそうです。

食事も落ち着いた頃、運んできた支援物資で、みんながほしいというものを、おろし各々に必要なものを分けていました。

その後、石巻市で、もっとも被害がひどい牡鹿半島の小渕浜へと向かいました。。。続く


宮城県石巻市レポート その③

石巻市に向かう前日に、もっとも被害が大きかった牡鹿半島の小淵浜から、300人ぐらいが避難所にいるけど、石巻市から物資が届かず食べるものもないので、助けて欲しいと連絡が来ました。
そこで、急遽みなさんから、預かった支援物資を、牡鹿半島の小淵浜の災害対策本部に届けることにしました。

しかし、越智さんや既にボランティアに行った方から、いきなり物資を持って行っても、受け取ってくれない場合もあり、情報を確認した上で、判断をしたほうがいいですよ。とアドバイスをいただきました。

被災した方と、時下にコミュニケーションを取っているのは、日々被災地をまわり、被災している方に声をかけて、気持ちを組んで行動しているボランティアの方なので、現地でボランティアをしているケロちゃんに、牡鹿半島の小淵浜から、そういう話が来ていることを伝えて、今回出来たら、そこに物資を届けたいことを伝えました。

するとケロちゃんは、現地に行って様子を見て、渡せるようなら渡しましょうという回答でした。

「???」と思ったのですが、現地で交渉に参加して、その意味がわかりました。

牡鹿半島の小淵浜災害対策本部は、石巻市から車で1時間ほどかかりました。小淵浜は、燃料も掛かるため、ボランティアの方もほとんど入っていず、ケロちゃんも初めて行くそうです。
途中に広がる光景は、地獄絵のようで、村が丸ごとなくなってしまっている光景を目の当たりにした時は、涙が止まりませんでした。その光景を眺めながら運転していると、何もない光景なのですが、そこに人々が暮らしいてた残像が、見えた気がします。

僕らは何が出来るんだろう、この惨事に立ち向かっていけるのかなというネガティブな気持ちが湧き上がってくるのを心の中で打ち消していました。

自衛隊のみなさんが道路を綺麗にしてくれていたのですが、道の脇には高く積みあがったゴミと化した生活の後が続きます。道路は、ひび割れている場所も多数。

小淵浜に入ると、70代ぐらいの方が2人、家の周りを片付けていたので、情報収集のためお話を聞くことにしました。少し高台にあるお住まいは、真近かに迫る津波を家の2階から見てたそうです。
津波の事や地震のことを話す2人の話を、僕らはずっと聞いていました。聞いてあげることも、ボランティアの役目でもあるのです。30分以上話は続き、その後、小淵浜の災害対策本部の場所を聞くと、既に通り過ぎた津波で壊れてしまったコンビのところで、物資を管理していることがわかり、来た道を戻ることにしました。

目的の場所に着くと、怖そうな顔をした男達が10人ほど出来て僕らのところにやってきました。
後でわかりましたが、みんな猟師で、大半の方が船を失ったそうです。

ケロちゃんは、石巻専修大学にあるボランティアが集まるところから、来たことを伝え、みんなとの話を始めました。この時点では物資を持ってきていることは、伝えていません。
歓迎されていない雰囲気の中、1時間近く話は続きました。

その中の一番の年配者の方の表情が少し柔らかくなって、耳を傾けてくれるようになりました。その人は、宮城県漁業共同組合の表浜(小淵浜の中の一つの港です)支局運営委員長であり、漁労長でした。名前は、木村さんと言いました。

牡鹿半島で被災している300人は、19地区の避難所に分かれて避難していて、各地区の代表が、物資をここに、貰いに来るのですが、それを管理する責任者が木村漁労長です。
争いをされるために、みんな平等がルールです。なので、全員分がないと物資を分けないのです。
でも、それは多くの避難所でも、そうしているようです。

木村漁労長に、海を愛する仲間に呼びかけて、物資を持ってきたので、よかったら使っていただけますか?と伝えました。最初は、遠慮していたようでしたが、猟師の方々から、「食べ物はあるか?」「下着や靴下は?」持ってきた物資を一つ一つ下ろし見て、必要なものを受け取ってもらいました。

その時に、東北の秋田出身の尊敬する写真家・中村征夫さんからよく聞いていた言葉を思い出しました。
「東北人はなぁ、団結力が強く、我慢強い、口下手で、初対面の人とは中々話せない」
「また、何かいただいたら、その倍のお返しをしないと気がすまないだ」と。。。。

食べるものもなく物資がない状況にあるにもかかわらず、なんのかかわりもない僕達が運んできた物資を、お返しをするものがないのに、ただ受け取れないという気持ちだったようでした。

そんな状況でも、東北人の意地と我慢強さを感じ取ることが出来ました。ただ「これが欲しい」言ってくれた方が、どんなに楽かと思いました。そんな気持ちをほぐしてくれたケロちゃんの直向な接し方にも、頭が下がりました。多くの被災者とかかわってきたケロちゃんだからこそ、出来たことだと。。。。

必要とされている物資を下ろし終えたとき、残った物資を僕とソウルマンがトラックの荷台に戻していると、猟師のみなさんが、無言でトラックに積むのを手伝ってくれたのです。それは、無口な猟師のみなさんのありがとうの言葉だった気がします。

小淵浜では不要だった物資を積み終ると、木村漁労長が僕に向かって

「兄ちゃんありがとうなぁ」

「俺たちがんばるよ」

「小淵浜は、めかぶの収穫が日本一なんだ。海産物もたくさん取れる海なんだ。今は、何も無くなってしまったけど、ここでまた、必ずめかぶを育て、わかめなどの養殖を始める。そして、最初に取れた海産物を、兄ちゃん達に送るよ」と言ってくれたのです。

みんなから受けた物資に対して、今は何も返すものがない小淵浜の木村漁労長が今出来る精一杯の熱い感謝の気持ちのこもった言葉でした。

熱くなる気持ちを、飲み込み僕は「めかぶやわかめが収穫出来たら、みんなで買いに来ます」と言うのが精一杯でした。。

さらに、木村漁労長が「俺たちが元気なところを、物資をくれたみんなに見せて上げたいので、写真とってくれや」といってくれたので、こんな写真を撮ることが出来ました。

悲惨な現場を見て、ただただ無力感しかありませんでしたが、すでに前を向いて、地域で自立しようとしている伊原津地区のみなさん、何もないところから、再生を誓い立ち上がろうとしている小淵浜のみなさんの力強さを感じ、小さな力ですが、みんなが自立しょうとする姿を見守りながら、行政が行き届かない部分での後方支援が出来ればいいなと思いました。長い長い戦いですが、身の丈にあった出来ることをし続けて行きたいなと思い、定期的に現地に行き、被災地の方との交流を持ち続けるその決意をしてきました。そんな中で、再生していく被災地の現状を伝えながら、出来ることを発信していきたいと思います。

そうそう書き忘れましたが、今回、マイミク姐さんから携わったワンコの食事も、小淵浜においてくる事が出来ました。出来る範囲で、ペットの支援をしたいと言うことだったので、姐さんの連絡先が書いてあるポストカードを置いてきました。

みなさんに「また来ます」と別れの言葉を残し、更に牡鹿半島の様子を見るため、さらに奥に進んでいきました。

すると、ケロちゃんが車が停められるところで、ちょっと止めてほしいと・・・・

車を停めた場所は、村が丸ごとなくなっていた場所でした。

家の基礎しか残っていない場所に、お皿と茶碗、漁の仕掛けがならべられていました。
被災者の方が、なくなった家族と過ごした楽しい時間を、偲んでのことなのでしょうか?

そんな中で、ケロちゅんは、荷台から籠を下ろし、その中からお線香を取りだと、火をつけ、取り出した冊子をつぶやくように、読み始めました。。。。聞こえてくる小さな声は、お経でした。
なくなった方を、弔っていたのでした。長いお経は10分以上続きました。

僕らも一緒に手をあわせました。

更に進むと、4階立ての鉄筋の建物だけが、残っている場所がありました。近づくと4階のベランダまで、津波の後が。。。


更に進みたかったのですが、暗くなってきたので、途中、被害がひどかった石巻港により石巻専修大学に戻る事にしました。

石巻専修大学に、戻って小淵浜で下ろせなかった物資を、下ろすためボランティア団体が集めた物資のテントの前に、トラックをつけました。
すると、ボランティアの方々がどんどん集まってきて、物資を下ろすお手伝いをしてくれました。
日中ボランティア活動で、疲れているはずなので、嫌な顔せずに、黙々と物資を運び、奥ではたくさんの人が仕分けをしていました。事前の仕分けの大切さも感じました。

みなさんから、お預かりした物資は、全部無事に届けることが出来ました。

その後、ボランティアの仲間が作ってくたれとん汁をご馳走になりましたが、とても旨かったです。

材料は、近県から来た人が持ってきてくれたもので作ったそうです。

やり残したことは、たくさんありましたが、夜9時を過ぎてしまったので、東京に帰ることにしました。

何をすべきかの答えは、まだ見つかりませんが、今回出来た縁を大切にして石巻に、友人が出来たと思う事にして、長いかかわり持つ事で、答えを見つけて行きたいと思いました。

ボランティアの方々の努力と行動力には、頭が下がりました。
ボランティアに行くことを。迷惑だという人もいますが、行くことで、大半の被災者の方は、喜んでくれます。それは、早く入ったボランティアの方々が、被災者の気持ちを第一に考えて、被災者みなさんとの絆を深めてくれていたからだと思いました。
とにかく行動しょうという先人達のボランティアさんのみなさんの努力は、すごかったと想います。

今週末、再び石巻に行ってきます。物資はすぐ食べれる食料を、みなさんからいただいた協力金の中から買って届け、すでに石巻に届いている大量の物資を、僕の車で、小淵浜に運ぶ予定です。

出来たら、泥出しのボランティアもしていきます。

また、これから炊き出しをする計画や復興が進んだ将来、まころんちゃんや佐助さんなどが考えてくれたプロジェクトが出来たらいいなと思っているので、区長との面会もお願いしています。

無理せず出来ることを、こつこつとやって行きたいと思っていますので、協力していただける方は、引き続き協力、支援をお願いしたいと思います。


どうぞ、よろしくお願いします。


ダイビングショップ 海潜隊

代表:河野 透

東京
海潜隊
河野 透

ダイビングショップ海潜隊の一人オーナー兼インストラクター 1962年8月19日生まれ。1996年に東京の板橋に仲間とダイビングショップ海潜隊を作る。坂本龍馬が好きだったことから、龍馬の作った日本初の株式会社、海援隊から名前をもした。龍馬が海から日本を支援したという考えで、海援隊を作ったように、僕は海を通じて、たくさんの人との繋がりをお手伝いして行きたい思ったからでした。少人数でリーズナブルなダイビングを心がけています。ダイバーになるお手伝い、ブランクダイバーのリフレッシュツアー、ファンダイブツアー、イルカツアー、写真家さんの出版記念パーティの企画しています。
URL : http://blogs.yahoo.co.jp/letterfromsea
Mail : kaisentaitooru@yahoo.co.jp

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